ポリオウイルスはピコルナウイルス科エンテロウイルス属に分類されるウイルスで、血清学的に3つの型が存在しています。このウイルスは急性灰白髄炎(小児麻痺)の原因となるウイルスです。小児麻痺はポリオウイルスの感染によって脊髄前角の運動神経細胞が破壊され、手足の運動機能が障害される病気です(図8)。ポリオウイルスという名前のポリオは灰色という意味ですが、脊髄を輪切りにすると運動神経細胞などがある灰白質が灰色に、それを囲んでいる白質が白っぽく見えるので、灰色の部分を侵すウイルスであることからこの名前がつけられました。
ポリオの流行は古来からあったと考えられています。エジプト第18王朝の石碑に小児麻痺の患者と推定される像が刻まれています。ポリオウイルスの宿主となるのはヒトで、感染者の便に排出されたポリオウイルスを食物とともに口から取り入れてしまうことにより感染します。ウイルス伝播にはヒト以外の動物が関与することはありません。野生型のポリオウイルスに感染しても90〜95%は不顕性感染に終わり、約5%程度が発熱、頭痛、咽頭痛、悪心、嘔吐などの症状を示す不全型の感染となります。1〜2%で無菌性髄膜炎の症状を示すといわれ、麻痺発症に至るのは1%もしくはそれ未満です。
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| 図8.ポリオウイルスに感染したポリオウイルス感受性トランスジェニックマウスの脊髄。 | |
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(A) 脊髄は中心部に神経細胞のある灰白質があり、その周辺に白質がある。 図はKluever-Barrera染色したマウスの脊髄で、紫色に染まった神経細胞がある部分は蝶のような形をしている. この部分が灰白質で図で下の部分が運動神経細胞がある前角の部分 |
(B) ポリオウイルスを感染させたトランスジェニックマウスの前角部分の拡 大図.ポリオウイルスに対する抗体によりポリオウイルス感染細胞を染 色した.茶色く見えるのがウイルスに感染した運動神経細胞.感染によ って細胞が死に形態が変化している.茶色い線のように見えるのは神経 細胞の軸索内のウイルスが染色されたもの. |
このような病気を引き起こすポリオウイルスの感染、複製の仕組みが分子レベルで調べられ、多くのことが分かってきています.ポリオウイルスの粒子構造は図9に示した通りです.表面はVP1、 2、 3、 4と呼ばれるカプシドタンパク質が60コピー集まって正二十面体を形成し、この中に1本のプラス鎖RNAが入っています。
ウイルス複製の過程を図10に示しました。ウイルスの感染は細胞表面に存在しているポリオウイルスレセプター(PVR、 CD155)に結合するところから始まります。細胞表面でレセプターと結合したウイルスは構造変化を起こし、細胞の中に一部が埋まり込むようにしてウイルスゲノムRNAを細胞内に放出すると考えられています。ポリオウイルスがヒトを宿主としていてマウスなどの他の動物に感染できないのはヒトのポリオウイルスレセプターだけがポリオウイルスとうまく結合できるような形になっているからです。
ゲノムRNAは約7、500塩基からなり、その中に11個のウイルスタンパクがコードされています。ウイルスのRNAは細胞内に入るとmRNAとして機能し、ウイルスタンパクの合成が開始されます。この翻訳は宿主細胞のタンパクを借用して行われます。ポリオウイルスのウイルスタンパクはポリプロテインと呼ばれるウイルスタンパクが全て繋がっている状態で翻訳され、その中にあるウイルスのタンパク質分解酵素(2A、3C、3CDなど)によって切断されて、各々のウイルスタンパクになります。ウイルスの粒子を形成するカプシドタンパクの他、ウイルスのRNA合成などに使われるタンパクが作られます。
こうしてできたウイルスタンパクとともに、宿主細胞の持っているタンパクを使ってウイルスRNAの複製が行われます。もともとのRNAはプラス鎖ですがこれを鋳型にRNA複製を行うとマイナス鎖ができ、さらにこのマイナス鎖を鋳型としてプラス鎖の複製を行います。出来上がったプラス鎖RNAは一部は再びウイルス複製のためにmRNAとして使われ、一部はカプシドタンパク質と会合して新たなウイルス粒子を形成します。ウイルスの複製が始まるとウイルスは細胞を乗っ取り、宿主細胞に必要なタンパク質の合成を止めてしまいひたすらウイルスタンパクだけを作らせるようになります。このためウイルスは増えるのですが、細胞は死んでしまいます。
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図10. ポリオウイルスの複製過程
ポリオウイルスレセプターは細胞表面に発現していてウイルスと結合する(A:吸着)。 ウイルスレセプターはウイルス粒子の構造変化を促し、ゲノムRNAを細胞質に放出させる(B: 脱殻)。 ウイルスゲノムRNAにはカプシドタンパクの他、2A、 2B、 2C、 3A、 3B、 3C、 3Dと呼ばれる非構造タンパク(ウイルス複製にかかわるがウイルス粒子を構成しないタンパク)がコードされている。これらはポリプロテインとして一続きの巨大なタンパクとして翻訳(C)される。その中の2A、 3C、 3CD(3Cと3Dが切断されずにつながったままになっている)はプロテアーゼで、ポリプロテインを切断する(D: プロセシング)。 3Dはポリメラーゼで、他のウイルスタンパクや宿主細胞のタンパクの助けを借りてRNA合成(E)を行う。合成されたウイルスRNAの一部はmRNAとして再びタンパク合成に用いられ、一部はカプシドタンパクと集合してウイルス粒子となる(F)。 |
上に述べた複製サイクルは1つの細胞の中で起こることですが、実際我々の体のなかでウイルスはどのように感染して最後には神経系を破壊してしまうのでしょうか?(図11)野生型の強毒株が経口的に体内に入るとはじめに咽喉や小腸の粘膜などで増え、その近傍の扁桃腺やパイエル板に侵入しそこで増殖し、さらに血液中に入ると考えられています.血液中にウイルスがいる状態をウイルス血症といい、体中にウイルスが駆けめぐっている状態です。ウイルスは体の中のいろいろな細胞に感染しているようですが、ほとんど細胞の中ではよく増えることができないません。血液・脳関門を越えて神経系に侵入すると神経細胞に感染します.特に脊髄前角の運動神経細胞で増殖が起こります。ここではポリオウイルスは爆発的に増殖することができ、細胞を破壊してしまいます。その結果運動神経細胞が正常に働けなくなるので手足の麻痺が起こります。
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| 図11.急性灰白髄炎の発症に至るまで 口から体内に入り、消化管の粘膜で増殖する。次にその付近のリンパ装置である扁桃腺、パイエル板、腸間膜リンパ節などで増殖する。ウイルスはここから血液の中に入る(ウイルス血症)。さまざまな組織(消化管を含む(点線))はウイルスに曝され感染が起こると考えられる。しかしほとんど組織ではウイルスが病変を生じることはない。増えたウイルスは再び血中に入る(点線)。中枢神経系にウイルスが達すると神経細胞に感染し、病変を生じる。腸管で増えたウイルスは便の中に排出されて、次の感染を招く。経口生ワクチンは消化管粘膜でのIgAの産生や血中IgGの産生によってウイルス感染を防御する。不活化ワクチンは血中IgGにより感染を防御する(青矢印)。 |
ポリオウイルスは1950年代までは猛威を振い多くの麻痺患者を出したことから予防のためワクチンの開発が急務となりました。予防のため2種類の異なった発想に基づくワクチンが開発されています.ひとつはSabinの開発した経口生ワクチンで、もうひとつはSalkの開発した不活化ワクチンです。前者は野生株を培養細胞で繰返し培養していく課程で生じた神経毒性を低下させたウイルス株で、このウイルスに人為的に感染することにより免疫をつけることを目的としています。生ワクチンは生きたウイルスを感染させるので本来の感染場所である消化管の粘膜に粘膜免疫を誘導したり、血中中和抗体を誘導したりすることができる有効性が高いワクチンです(図11青矢印)。口から飲ませるので投与も簡便で、作成のコストも不活化ワクチンよりも低くつくることができます.現在日本ではこのワクチンが使用されています。一方不活化ワクチンはホルマリンでウイルスを固定して死滅させ、これを注射することにより血中に中和抗体を誘導することを目的としています。消化管での粘膜免疫の誘導は起こらないとされています。
世界保健機関(WHO)は1980年に天然痘の根絶宣言を行いましたが、次の目標としてポリオウイルスの根絶を目指すことを決めました。大規模で計画的なワクチンと投与ときめ細かなサーベイランスを行うことにより世界から強毒野生株を駆逐しようという試みです。我が国を含む西大平洋地域では2000年に野生株に由来する急性弛緩性麻痺患者が発生しないことからポリオフリーであることが宣言されました。しかし、世界にはまだ野生株が存在している国があり、世界中からウイルスが根絶されるまでは旅行者によってこれがもたらされる可能性があります。そのため我が国では根絶宣言がなされた後でもほぼ100%のワクチン接種が行われています。
経口生ワクチンはSabinによって野生株を培養細胞で継代を重ねることにより得られたものです。しかし、その時代にはなぜこのような方法で弱毒株を得られたのかは良く分かっていませんでした。また、現行の経口生ワクチンにおいても極々低い確率ではありますが、ワクチンによる事故が発生します。これは弱毒化していたワクチンを投与した個体の中で強毒株への復帰突然変異株が出現するためです。科学の発達によってこのような弱毒化や強毒復帰がどのような仕組みで起こっているか明らかにされています.その主な原因の解明はポリオウイルスの持つ独特のタンパク合成の仕組みが明らかにされることにより分かって来ました。
通常宿主細胞のmRNAは5'末端にcapと呼ばれる構造があります。このキャップを目印に細胞mRNAの翻訳は開始されます。ところがポリオウイルスのRNAには5'末端にcap構造がありません。そのかわりInternal ribosome entry site(IRES)と呼ばれる構造を持っています。IRESは約400塩基からなる領域で単なるRNAではなく、複雑な構造をとります。タンパク合成はここにpolypyrimidine tract bindig protein (PTB)やLa抗原、poly(rC) binding protein-2(PCBP-2)などと呼ばれる宿主細胞の因子が結合することによって開始されます。弱毒株はIRESの特定の部位が強毒株と異なります(図12)。この違いによってRNAの高次構造にも変化が生じます。タンパク合成開始に必要なPTBは全ての細胞で発現していますが、神経細胞ではPTBと良く似たneural cell specificPTB (nPTB)が多く発現しており、通常のPTBの発現レベルは低くなっています。強毒株のIRESはPTB、nPTBどちらを用いても機能することができますが、弱毒株のIRESはPTBを使って機能することができるものの、nPTBを使ってはその効率が低下することが分かりました。このために神経系では弱毒株が爆発的に増えることができないと考えられています。
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| 図12.ポリオウイルスの5'-非翻訳領域のIRES ポリオウイルスの5'-非翻訳領域は約700塩基からなり、5'末端にはcap構造がなくVpgと呼ばれるタンパクが結合している.6つのstem-loopを含む立体構造をとっている。図で平行線で書いてある部分は塩基対を組んで2本鎖となっている(stem)。このうちstem-loop IIからVIまでの領域がIRESとしてタンパク合成開始のcis-acting elementとして機能している。この部分にPTB、La、PCBP-2などの宿主細胞因子が結合し、リボゾームがエントリーできるようになりタンパク合成が開始される.強毒株と弱毒株では*印の部分に塩基の置換があるため構造が変化する。1型強毒Mahoney株の場合この部分はAで、この株をもとに作られた弱毒Sabin株ではGである。このためIRESの構造に変化を生じ弱毒株IRESはnPTBを利用して効率よくタンパク合成を行うことができないためウイルスが弱毒化すると考えられている。 |
ポリオウイルスは神経親和性ウイルスですが、どうして神経系でだけ増えることができるのか?という疑問も解明されてきました。この疑問に答えるために我々はポリオウイルス感染症のモデル動物の作成を行ってきました。ポリオウイルスが感染できないマウスにヒトポリオウイルスレセプター遺伝子を持つ遺伝子改変マウスをつくりました。このトランスジェニックマウスはウイルス感受性を獲得し、ウイルスを接種すると脊髄の運動神経細胞などが選択的に感染、破壊される動物モデルとなりました(図13)。 マウスモデルができたことにより、これまで不可能だった解析が可能になりました。I型インターフェロンの応答がないようにI型インターフェロンレセプター遺伝子を破壊したノ ックアウトマウスとこのトランスジェニックマウスを交配し、インターフェロン応答のないトランスジェニックマウスを作成しました。するとポリオウイルスは神経系のみならず、肝臓、膵臓、脾臓などでもよく増殖し、これらの組織に病変を作ることがわかりました。つまり、ポリオウイルスは体中のいろいろな組織にアタックしているのですが、インターフェロンの防御が強い組織ではその防御に負けて増殖することが許されず、防御があまり強くない神経細胞ではどんどん増殖してしまうということが分かったのです。上に述べたウイルスの弱毒化のメカニズムや組織特異的感染のメカニズムはの解明はポリオウイルスに限らずいろいろなウイルスに対する防御法を考える上で貴重な基礎研究成果です。
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図13.ポリオウイルス感受性トランスジェニックマウス ポリオウイルスは通常マウスには感染しないが、ポリオウイルスレセプター遺 伝子を導入したトランスジェニックマウスではポリオウイルスに感受性となる。 ウイルス接種後後肢の麻痺(矢印)を生じたトランスジェニックマウス。 |
ポリオウイルスは長い間人類にとっての脅威でしたが故に多くの研究者の努力によって、感染の仕組みが開明され、ワクチンも開発されました。世界的な規模のキャンぺ−ンによってウイルスが根絶されようとしています。もしポリオウイルスが根絶されてしまいさえすれば我々は安心して暮していけるのでしょうか?新興・再興ウイルス感染症という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?世の中にはこれまで存在しなかった病原体やこれまでその存在が知られていてもあまり問題とならなかったのに急に問題になってくる病原体があります。例えばポリオウイルスに良く似たウイルスにエンテロウイルス71があります。EV71はポリオウイルスと同様にピコルナウイルス科エンテロウイルス属に属します。このウイルスはすでに我が国でも広く存在しているウイルスで、通常手足口病を引き起こすウイルスとして知られています。ところが近年マレーシアや台湾においてこのEV71の流行に伴う脳炎が報告されています。マレーシアでは1997年に41人、台湾でも1998年に78人、2000年に41人の死亡者が出ました.通常手足口病で終わってしまうこのウイルスが時として脳炎を引き起こすのか理由はわかっていません。また、このウイルスには残念ながらワクチンや抗ウイルス薬は開発されていません。このような病気に予防にはおそらくポリオウイルス研究でつちかった経験が非常に有効であろうと思われます.私達はこのようなウイルス感染症に対する対策を開発するための基礎研究を行っています。