脳の神経細胞は生まれた時から、色々な刺激をうけて活動を続けつつ変化し、成長につれてその個々の神経細胞も、脳全体も機能を変化させていきます。神経細胞は突起を通して他の神経細胞と連絡しており、この突起を通した連絡が情報の流れとなり脳の様々な機能を実現する源となっています。神経細胞の機能が複雑な突起の連絡パターンをその基礎にしているとすると、生まれた時にできた神経細胞はこの突起を維持しながら機能し、個体の寿命が尽きるまで生き続けることになります。人間の場合はおよそ80年の間、こうして機能し続ける神経細胞があることが脳の機能を支えているのです。一つの細胞が80年もの間複雑な突起の連絡を維持しながら、機能し続けるのはそれだけで驚異としかいいようがありませんが、その細胞が数百億個から数千億個集まってヒトの脳というシステムが作られていることを思うと、その機能や病態の解明は部分的なものに限られざるを得ないのが現状と言わざるを得ません。
ヒトの脳では数百億個の神経細胞が80年機能し続けるのですから、調子の悪くなる細胞が出てきて、ある時期からそれが目立ってくるのは必ずしも病気ではなくむしろ普通のことと思われます。実際ヒトの脳では正常の方でも1日に8−9万個の神経細胞が壊れている(大まかには一秒間に一個の割合にあたる)という計算もあるようです。実際ヒト脳の重さは20-30歳頃をピークに次第に減少を始め、加齢に従って進行性に減少が続きます(図1)。とはいえ正常加齢であっても、脳の細胞がどの部分でも同じような割合で壊れているわけではなく、壊れやすい部分と比較的壊れにくい部分があるようです。
![]() |
図1. ヒト脳の重さと年齢による変化 ヒト脳の重さは生後20歳くらいまで増加し続け、40-50歳頃から次第に減少していくとされています。 |
脳に限らずヒトの身体は年齢とともにいろいろと変化していきます。では脳の場合どのような変化がおこるのでしょうか?最もしばしば話題になるのはいわゆる「物忘れ」です。ヒトの名前や漢字などちょっとしたことが思い出せないというのは誰にもあることですが、ある年齢を超えるとその頻度が次第に増えるのがむしろ普通です。では全ての物忘れを病的なものととらえるべきでしょうか?その場その場での情報を過去の経験に照らしてよりよく判断するのが脳の働きの一つですが、「物忘れ」を「物忘れ」と自分で意識でき、他の情報を合わせて正しい判断ができるのであれば、必ずしも病的と考える必要はありません。では病気の始まりの可能性はないのでしょうか?もしアルツハイマー病の最初の症状が「物忘れ」であれば自分の物忘れもその初期症状ではないかとの心配は誰にもあります。もし「物忘れ」の程度が月の単位でより明瞭になってくるのであればそれは正常加齢とは別の病的過程が起こっていることを前提に検索をする必要がある場合が多いのです。しかし1-2年前と比べて「物忘れ」の程度にさほどの違いがなければそれ程の心配は要らない場合が多いということができます。
さて人間、歳をとってくると個人個人の違いは色々な点で拡がってきます。実年齢30歳のヒトの年齢を言い当ててみてもそれ程のずれはでてきませんが、実年齢65歳の人の年齢を当てるのは結構難しい場合が多く、より若く見える人とそうでない人の開きは10歳以上有る場合も少なくないように思います。
実は「物忘れ」の程度についても同じことがいえると思います。自分と同年齢の誰々さんはあんなに記憶力が良いのに、自分はこんなに物忘ればかりして異常ではないかと心配する方がおられます。しかし、他人の尺度が必ずしも自分に相応しいとは限らないという状況は年齢が増えるにつれて増えてくるのはむしろ普通です。自分なりの尺度で判断ができ、進行もしない「物忘れ」をあえて病的ととらえる意味はあまりないとされているのが現状です。
加齢に伴って神経細胞が次第に少なくなっていき、脳全体の重さも減少していくのですが、これに加えて若いときには見られなかった病変が脳にはみられるようになります。代表的な病変は、老人斑と神経原線維変化と呼ばれる構造です。老人斑は正常脳にも存在するβ蛋白がアミロイドとよばれる細い線維を形成して細胞の外に沈着したものです(図2)、一方神経原線維変化はやはり正常に存在するタウ蛋白が捻れをもった線維を形成して神経細胞内に貯まったものです。年齢と共に老人斑や神経原線維変化はその数が増えていき、神経細胞は減っていきます。脳の中で海馬と呼ばれる部分は記憶に不可欠と言われていますが、神経原線維変化はこの領域を中心にその数が増えていき、記憶に関係する機能を障害するのではないかと考えられています。しかしある年齢でどのくらいの神経原線維変化が出てくるかは個人によるばらつきが大きく、物忘れの起こり方や程度に人によるばらつきがあることに一部対応している可能性があります。このように正常加齢でも脳の一部には年齢に応じた明瞭な変化がみられているのです。
![]() |
| 図2. アルツハイマー病脳にみられる病的沈着物 アミロイド線維を形成する異なるβ蛋白(Aβ42緑とAβ40青)、タウ蛋白(AT8赤)を免疫蛍光法により3重染色した。Aβ40は血管周囲(矢印)に沈着が目立つ(矢頭)がAβ42はそれ以外にも老人斑の形で沈着する(asterisk)。タウ蛋白は老人斑周囲の突起に沈着し、神経原線維変化を形成する。 |
アルツハイマー病脳にみられる脳の変化 正常加齢にみられる病変が強調された形でアルツハイマー病脳にもみられることが知られています。この部分を顕微鏡で観察すると老人斑や神経原線維変化が多数みられ、神経細胞も脱落していることがわかります。
アルツハイマー病では
の三つの変化があることがわかっていますが、お互いがどのような関係で病気を進行させているのかについてはまだ十分にわかっていません。老人斑にしても神経原線維変化にしても正常にある蛋白が変化をうけて病変を形成する点では一致しており、この過程を解明することによって病変の形成過程とそれに伴って障害される脳の機能変化を把握することが、アルツハイマー病あるいは脳の老化過程を観察することに直結すると考えて、研究を進めています。
アルツハイマー病の老人斑にはβ蛋白とよばれる分子が凝集して形成されたアミロイド線維が集まっています。β蛋白は正常脳にも存在するのですが、正常脳でβ蛋白が果たしている機能はまだ良く解っていません。一方これが凝集して線維となり、老人斑が形成される過程を解明し、それを阻止できれば治療につながるとの期待のもとに多くの研究が行われています。
大まかにわけると
等に大別できるようです。
とくに蛋白が凝集して病変を作る過程は、アルツハイマー病に限らずパーキンソン病、ピック病など、異常な凝集に基づく病変を脳に形成する疾患で共通に見られる過程です。蛋白分子のどのような変化が凝集に結びつくのか、あるいは凝集を促進する別の分子が介入して病変が形成されるのかはまだ不明な部分が多いのが実情です。この過程を明らかにできれば、それをもとにした診断法や治療法の開発に結びつける事ができると期待されます。